あっくんさんは書楽せえぜ。

写楽じゃなくて、書楽。しょらくせえとはオレのことですよっと。

舞浜戦記1 闘いの定義

このコラムのタイトル「舞浜戦記」は、僕がキャストだった頃の日々を綴ったものだが、なぜ「戦記」なのか。
その理由からご説明しよう。

その時僕は、仕事を探していた。

その頃の僕は、小説家になる夢を抱いて切磋琢磨し、駄文を量産する日々を送っていた。就職すると時間を拘束されるため、バイトで食いつないで過ごし、空いた時間はひたすら文章を練りだす地道な作業に明け暮れる。それが最も喜びを感じるし、唯一挑戦しがいのある行為であり、そしてまた自身の存在意義を実感できるただ一つの道だと信じていたわけだ。
ご多分に漏れず。何度コンクールに応募しても賞は取れず、評価もされない。また自分の納得できる作品が完成しない。焦燥と諦念が増殖してきたら己の精神を見つめ直し現在の立ち位置を再確認する、理想の創作活動を再定義して目指すべき道を見定める。精神的に立ち直ったら、理想を達成した輝ける未来を確信しモチベーションを奮い起こし復帰する。根拠なき自信を主燃料にして突き進む脳天気なクリエイター・ファンダメンタリストであった。
だが、先立つものが必要だ。
何でもよかったが、とりあえず心理的に負担の少ない仕事がいいのではないかと思っていた。そんなに心理的に負担のある仕事ばかりやっていたというわけでもないが、正直疲れていたのだ。正社員、就職、収入と言った言葉がぐるぐる動き回り背後に迫り、やがて自分を圧迫してくるのは間違いない事実であり現実だ。

だが、その時僕は26歳を迎え、いい加減な生活を送るのもほぼ限界まで来ていたのだ。そろそろ決断しなければならない。自分は小説家になれるか、なれないか。決断し、次の人生の目標を定めなければ。
諦める、という簡単な表現で済ませるには、当時の僕にとってはあまりにも重大過ぎる要素だったのだ。
決断は、何をやるか、やれるかにかかっていた。



と同時に、楽しい仕事とはなんぞや、との疑問も抱いていた。
お金を稼がなければならない。この目的に沿い、幾つかの選択肢を探していたところへ、求人誌を開いた時に目に飛び込んできたのが、例の一面大広告だったのだ。
東京ディズニーランド・キャスト募集 面接会」

決断をするという行為の中には、決断ができるまで現状を維持する、という逃げの選択肢が含まれている。
自分にとって最適な選択肢が現れるまでは、現状ある最善のカードを仮に選択しておき、次にもっと良い条件の選択肢が登場したらそちらへ交換する、というものだ。
それに僕は賭けていた。というか、必然的に選択した。
要するに、その時もっとも関心のある、楽しい要素へ、向かっていったのだ。

世の中に、楽しい仕事はどれだけあるのだろうか。それは、「楽しい」が何を意味するかにかかっている。
文字通り、楽しさが内包された仕事こそが楽しい。それはそうだろう。
文字に縛られず、厳しい困難や苦悩、乗り越えるべき壁や障壁に挑む間の熱中度や集中している最中の、従前の自身の限界を押し上げる感覚への喜悦、クリアした後に訪れる達成感を総体して表現する「楽しさ」か。

言うまでもない。
だがその結論に達するまでにかなりの時間を要した。
その経過期間こそ、闘いが続いた長い僕のディズニー生活の始まりから終わりまでをつなぐ、世にも珍しき世界での出来事を巡る物語そのものであった。

初夏。
美しき緑に囲まれたエリア、クリッターカントリー
小動物の郷という設定の場所の最奥部にそびえ立つ枯れ木が突き出た山、スプラッシュマウンテン。
クリッターカントリーがオープンしたのが1992年。数年前から建設は始まっていたが、パークに入園した人々の目に触れる程度に形を成してきたのがその前年からだ。
まだその入口には茶色い木板の壁が並び、秋にオープン予定、と書かれたイラスト入り看板が張り付いていた。壁の手前の地面は、ウエスタンランドの赤茶色の地面とファンタジーランドの青緑の地面とが混じり合う分水嶺に、突如未知の水脈が出現したかのように染み出しているのが、黄色いざらついた地面だった。
壁の手前一メートル程度のみ、新しい地面が露出している状態になっていた。これこそが、クリッターカントリーの新しい地面のカラーでありスタンプドコンクリートと呼ばれる当時は斬新な、小動物の足跡がついた状態の地面であったのだ。

未完成の新エリアは、壁越しにはほとんど見えず、だが観察する方法はあった。
隣のエリア、ウエスタンランドから覗き見るのだ。
特に、アメリカ河を周航する蒸気船、マークトウェイン号の3階デッキに上がって河辺を眺めれば、いやでも目に入ってくるのが作りかけの新エリアであった。
その前年、僕はこの蒸気船のキャストとして勤務していた。その時は、自分がまさかその新エリアにできるアトラクションで勤務するとは夢にも思わずに。
自分自身が、その山を、まるで他の遊園地でも見るかのようにぼんやりと眺めていたのだ。その地で、まさか10年以上も勤務し続けるとは夢想だにせずに。
それが、闘いの始まりの前夜とも言える日の、思い出だ。