あっくんさんは書楽せえぜ。

写楽じゃなくて、書楽。しょらくせえとはオレのことですよっと。

あまちゃんをほとんど見ていないのに勝手に評価してみる

大人気朝ドラ「あまちゃん」。終わってしまいましたね。

 

自分はほとんど見ていないので作品の優劣を語る資格は全然ありません。なので参考にならない戯言を綴ります。

 

たくさんの視聴者にとって思い入れがあるドラマには、それ自体が存在価値を証明している裏付けになるし評価に値すると思います。一つ一つのエピソードや登場人物について語ったりするのがとにかく楽しい。分かります。

ちょうど最終回を見ました。最終回だけ。大きな物語の収束に向かう、まとめるためだけの回なのがよく分かります。落ち着きどころを目指して進む時間が、ああ、これで終わってしまうんだな、と残念な感じと寂しさと大団円と納得のコーダを編み込んでいき、さながら一大サーガの終着点を見るようで、ほとんど思い入れのない自分にも、制作スタッフの思いと視聴者への無言のメッセージがビンビン伝わってきて、いいな、この流れに乗りたかったなと思わせてくれました。

この先に。この先まで行こう。来年はもっと。(でしたっけ?)

 

 

続編を求められるのは、製作者たちにとって名誉なことです。続編どころか今作を全く評価されないドラマがほとんどの中で、これだけの評価をもらえるなんて滅多にあるものじゃありません。

でも。クドカンは、続編は作らないでしょうね。間違いなく。

彼は今まで続編を作ったことあるのかな。たぶん、ないと思う。

ちょっとウィキペディアで調べてみたら、木更津キャッツアイとタイガー&ドラゴン(連ドラ)でスペシャルは書いているけど、正式な続編扱いの作品はないようだ。まあ絶対書かない主義の人ではないようだ。どれだけ要望されるか(相当強いプレッシャーを受けるだろうね)にもよるが、本人はやりたくないと思う。

今作で、書きたいことは全て書き尽くした印象を、インタビュー記事を読むと強く感じる。作家にとって、思い入れのある作品においては、その瞬間に全てを込める。後悔のないように。だからこそ、後々に未練を残さないように、全力を尽くす。

その後で、さらに続きを始めるというのは、かなりの勇気が要るのだ。その時に自分の全てを込めたからこそ、続編には二の足を踏む。

ヒットさせる自信があるなしの問題じゃない。己が出しうる全てをそこに込めたからこそ、困難なのだ。

 

ドラマに限らず、人はなぜ続編を求めるのだろう。

その世界観に浸っていたいから。またあのフィクションの世界に戻りたいから。今まで味わってきた感覚を持続させたいから。惰性の快楽とでも言うのだろうか、人は一度慣れてしまった環境から離れるのを避ける傾向がある。と同時に、視聴者は前作よりもさらに強い快楽を望むものだ。より面白くより気持ちのいい世界に戻りたいという欲求。何かに似ているなと思ってしばらく考えてみた。

朝、ふとんから出たくない状態とでも言うのかな。二度寝の感覚に似ている。もう一度あの安らかな世界に戻りたい。だが。二度寝は一度目ほど気持ちよくないものだ(と思うがいかがだろう?)

続編が成功した作品はたくさんある。あまちゃんの続編が傑作にならないと断定はできない。本作はキャラ作りがきちっとできているので続編でもお馴染みのキャラが炸裂してきっと楽しいクドカンワールドが見られることだろう。

でも、それは今作で繰り広げられた世界観と、完璧に同一にはならないと思う。

それが二度寝の哀しさであり、虚しさなのだ。

人はさらなる快楽をフィクションに求めるものだ。より世界を拡大させスケールアップし派手な展開をし続けて行けば、あるいは奇跡は起きるかもしれない。問題は、宮藤官九郎氏自身がそれを望んでいるのか、という点だ。今作に全てを注ぎ込んだ後で、さらにあまちゃんの世界を続けていく勇気があるのか。周囲のプレッシャーと誘惑に負けて流されて続編を作り大失敗した作家は数知れず。彼がその轍を踏むのか、それとも奇跡に向けて北三陸鉄道を走らせることができるのか。